遺産分割前に、特別受益証明書の作成を、他の相続人から依頼されることがあります。
特別受益証明書は「特別受益を受けた」ことを証する書類ですが、それだけでなく、遺産分割における便宜的な手法として、遺産分割協議書なく不動産の所有権を移転するための必要書類として用いられるケースがあります。このときに安易に要求に応じてしまうと、本来受け取れる遺産を得られなくなります。その結果「借金のみを引き継ぐ」という困った状況に陥るおそれもあります。
特別受益証明書は、後に争いを招きやすい性質をよく理解し、作成するにせよ慎重に進める必要があります。本解説は、特別受益証明書の意味や効果、特にデメリットやリスクを説明します。
特別受益証明書の基本
まず、特別受益証明書について、基本的な法律知識を解説します。
特別受益証明書とは
特別受益証明書とは、自己の相続分を超える生前贈与または遺贈を受けた相続人が、民法903条によって具体的相続分がゼロとなる結果、遺産を取得しないことを証明する書面です。民法903条はわかりやすくいえば「生前に贈与した財産も相続財産に含める」ことを定めた条文です。
第903条(特別受益者の相続分)
1. 共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし、第900条から第902条までの規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする。
2. 遺贈又は贈与の価額が、相続分の価額に等しく、又はこれを超えるときは、受遺者又は受贈者は、その相続分を受けることができない。
3. 被相続人が前二項の規定と異なった意思を表示したときは、その意思に従う。
4. 婚姻期間が二十年以上の夫婦の一方である被相続人が、他の一方に対し、その居住の用に供する建物又はその敷地について遺贈又は贈与をしたときは、当該被相続人は、その遺贈又は贈与について第一項の規定を適用しない旨の意思を表示したものと推定する。
民法(e-Gov法令検索)
特別受益証明書の具体的な内容は、「被相続人から生前贈与を受けたので、相続分がない旨を証明する」といったものです。
特別受益とは、生前贈与や遺贈によって特別に利益を受けることで、その分は、遺産分割の前渡しであると考えられ、分割時に持ち戻して計算するのが基本となっています(持戻し計算)。その結果、相続分を超えた利益を受け取れば、相続できる財産はゼロになる。このことを証明するのが、特別受益証明書なわけです。特別受益証明書はその意味から「相続分不存在証明書」とも呼びます。
特別受益の基本について
特別受益証明書の効果
特別受益証明書があると、その相続人は、プラスの財産を相続しなくなります。
その結果、他の相続人が、遺産のなかにある不動産を登記する際、特別受益証明書を「相続を証する書面」(不動産登記法61条、不動産登記法施行令7条1項5号ロ)とすることで、遺産分割協議書の作成なしに相続登記の手続きを行えるようになります。
本来、遺言のない相続では、遺産を取得するには遺産分割協議をして相続人全員の同意をとるか、もしくは、遺産が不要な相続人は相続放棄するか、といった方法をとらなければなりません。しかし、これらの手続きは資料収集や家庭裁判所への申立てなどの手間がかかります。
特別受益証明書があれば、それを作成した相続人は相続分がないことを自ら証明したこととなるため、面倒な手続きなく、その他の相続人で登記が可能となるという効果を生むわけです。
遺産分割の基本について
特別受益証明書が活用される場面とメリット
相続における特別受益証明書の重要な役割は、遺産分割協議や相続放棄といった手続きの実質的な代替手段となってしまう点です。上記の通り、この証明書があれば、遺産分割や相続放棄がなくとも、証明書を作成した人を除いた相続人で、相続登記を進められてしまうからです。
重要なポイントは、実際は特別受益がなくても、その旨の証明書さえ取得してしまえば、協議を経ずして登記できる効果は発生してしまう点にあります。つまり、実際には生前贈与や遺贈がなかったにもかかわらず証明書を作っただけで相続分を失う結果となるわけです。この点から、本来は特別受益の場面でなくても「遺産分割に手間がかかる」「相続放棄をするのも面倒だ」といった理由で、特別受益証明書が利用されるケースがあります。
この便宜的な活用例は、裁判例でも認められています。
特別受益証明書の内容が事実に反していたとしても(特別受益が実際にはなかったとしても)、本人がそれを知ったうえで作成、交付した場合には有効なものとして機能させるべきと考えられているからです。その法的な理屈としては、相続分の譲渡・放棄や、贈与契約があったもの、または遺産分割協議が成立していたものと解釈されており、同趣旨の裁判例もあります(相続分の贈与としたものとして大阪高裁昭和53年7月20日判決、遺産分割協議が成立したと認めたものとして東京高裁昭和59年9月25日判決)。
また、未成年者の相続において、特別代理人の選任が面倒なとき、特別受益証明書を活用し、子供の相続分を失くし、特別代理人の選任なくして不動産登記を可能にする、という活用例もあります。
相続登記の手続きについて
特別受益証明書の問題点とデメリット
前章のように事実と異なる形で特別受益証明書が作られ、便宜的に遺産分割協議や相続放棄が省略されてしまうことには問題もあります。そして、その問題点は、特に特別受益証明書を事実とは異なると知りながら作成した相続人にとっての大きなデメリットとなり、本来ならもらえたはずの遺産を失う結果となってしまいます。
特別受益証明書の問題点には、次の4点があります。
このような問題点は、相続人間のトラブルのもととなります。その原因は、事実と異なる証明書を、その便利さを優先して作ってしまうことにあります。したがって、後の紛争を防止するには、安易に特別受益証明書を作るのではなく、遺産が不要な人には相続放棄をしてもらい、話し合いをして遺産分割協議書を作成するといった正しい方法をとるのが重要です。
偽造されるおそれがある
特別受益証明書さえあれば、他の相続人の同意を得ずして、遺産となる不動産の登記を得ることができるため、悪意のある相続人のなかには偽造する人もいます。
偽造されたり、本人の意思に基づかずに作成されたりした場合には、その証明書は無効であり、あらためて遺産分割をし直す必要があります。
後から証明書の有効性が争いになる
実際は生前贈与がないにもかかわらず特別受益証明書を作成してしまったとき、前章のように偽造の場合は論外として、そうでなくてもやはり将来に有効性が争われる危険はどうしても残ります。その相続人が将来争わなければよいですが、一旦は相続しなくてもよいと考えた遺産が、後からどうしても欲しくなることもあります。
このとき、争いの結果、証明書が無効となってしまえば、それに基づく相続登記も無効となり、抹消する必要があります。
証明書の作成者に贈与税が課される
特別受益証明書を作成した相続人は、それがたとえ事実に反するとしても、自己の相続分を超える生前贈与や遺贈があったものと証明することになるため、これに基づいた贈与税や相続税を課税されるおそれがあります。
遺産隠しのリスクがある
特別受益証明書を作成すると、その相続人は今後、遺産分割協議に参加することはありません。その結果、被相続人にどのような資産があるのかを知らないままでいるおそれがあります。
相続財産の全貌を知らないのに特別受益証明書を書いてしまうと、本来なら取得できた大きな資産を失う危険があります。そして、これをいいことに他の相続人が遺産隠しをして、だまして証明書を書かせようとするケースもあります。
安易に特別受益証明書を作成することのリスクは思いのほか大きいといえます。
特別受益証明書の作成方法
最後に、以上のことを踏まえてもなお、その便宜的なメリットから、特別受益証明書を作成する場合に、その作成方法や書式について解説しておきます。
情報の収集
まず、証明書の作成前に、必要な情報を収集し、遺産をリストアップしておきましょう。特別受益証明書を作成すると、プラスの財産を承継しなくなるため、失って困る遺産がないかどうか、事前の調査は欠かせません。
相続財産調査について
特別受益証明書の書式
次に、証明書を作成します。特別受益証明書に、法律上の決められた様式はないものの、例えば次の書式や記載例を利用してください。
特別受益証明書
被相続人の氏名 ◯◯◯◯
(20XX年XX月XX日死亡)
最後の本籍 東京都XX区……
【生前贈与の場合の記載例】
私は、上記被相続人の死亡によって開始した相続について、被相続人の生前に相続分を超える贈与を受けているため、相続する相続分のないことを証明します。
【遺贈の場合の記載例】
私は、上記被相続人の死亡によって開始した相続について、遺贈によって相続分を超える贈与を受けているため、相続する相続分のないことを証明します。
20XX年XX月XX日
(住所)
(氏名) 相続人◯◯◯◯ 印
氏名の末尾には、実印を押印し、印鑑証明書を添付するようにします。
まとめ
今回は、特別受益証明書(相続分不存在証明書)について解説しました。
この証明書は、登場頻度はそれほど多くはないですが、遺産分割において面倒な手続きを避けるために便宜的に活用されることがあります。ただ、悪意のある相続人に利用されるなど、誤って作成してしまうと、本来ならもらえるはずだった遺産を失いかねません。本当に必要なケースなのか、他に良い方法がないのかをよく検討してから作成するよう心がけてください。