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グローブ職人の新時代、若きリーダーが革製品ビジネスの未来を作る!

伝統と革新が交差する現代、グローブ職人の世界に新たな風が吹いています。長い歴史を持つこの業界が、一人の若きリーダーによって新しい章を迎えています。

日本の職人の技術を絶やさないために、後継者不足、製造拠点の海外移転など、解決せねばならない課題は山積みです。一方で、伝統を継ぐだけでは、新時代を生き抜けません。この若き経営者は、グローブ技術の良いところは活かし、それを遥かに超えた存在へ昇華させました。まさにアートワークといってよいでしょう。そのビジョンは、製品を作るだけでなく、それを使う経営者の生活スタイルや価値観を、唯一無二のものへと変貌させます。

今回は、祖父より三代にわたって野球グローブ・革製品を手掛けながら、事業承継を円滑に進め、現在は革製品を経営者向けに提供する、株式会社umehara&coの梅原和宏氏にお話を伺います。

道のりは、決して平坦なものではありませんでした。彼がどのようにして職人からアートの世界に足を踏み入れ、頂点を極めようとしているのか、彼の見据える革製品を中心としたビジネスの未来について掘り下げていきます。

ゲスト

株式会社umehara&co. 取締役

梅原和宏

1968年に創業した革製品事業を承継し、職人の技術と誇りを残すと共に、株式会社プレジデント・ギアを新たに立上げ、経営者向けオーダーメイド革製品事業を展開する。

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先祖から受け継がれた匠の手技で未来を紡ぐ

――まず、梅原様の事業承継した家業のことを教えてください。

梅原:当社は、祖父が一代で立上げた会社です。当初は野球グローブの小売り、修理を手掛けるスポーツ用品店でした。当時、奈良県には革製品を個人向けに販売する店舗がなく、子供達を喜ばせたい一心で、駅前のスポーツ店の経営を始めたと聞いています。

――立ち上げ当時の思いは、しっかりと聞いて受け継がれているのですね。立ち上げ時のエピソードなどは社内でも語り継がれているのでしょうか。

梅原:私が生まれたとき、既に祖父は他界していました。しかし、父からしっかりと思いは受け継いでおります。

当時、祖父は8人兄弟で、他の兄弟の面倒を見るために野球ができず、悔しい思いをしていました。その経験から、野球をする少年たちの手助けをしたい思いを強く持ったと聞いています。

――その後、その思いは梅原様のお父様に受け継がれ、事業承継をしていくのですね。

梅原:父の代から、本格的に工場化し、ミシンを導入して生産をはじめました。知らないかもしれませんが、実は、奈良県は野球グローブの生産シェア80%を誇る県です。父が事業承継をした頃には、経営悪化した工場も多く、腕のいい職人なのに時間を持て余す方も少なくありませんでした。

伝統の火を次代へ再定義する

――伝統的な技術を身に着けた職人に仕事がない状況は、まさに社会的課題ですね。製造拠点の海外移転などのあおりをうけてのことでしょうか。

梅原:奈良県で野球グローブを生産していた工場は、大手の下請けの売上が大きな割合を占める企業も少なくありませんでした。そのような工場は2000年頃から、大手の製造拠点の移転に伴い、中国、ベトナムに進出する流れとなり、閉鎖を余儀なくされました。

当社では、そのような惜しい職人人材に活躍の機会を与え、雇用確保に尽力しています。

――スポーツ用品店を事業承継されて、グローブの生産工場までお作りになったお父様の強みはどんな点にあったのでしょうか。

梅原:当社は、大手の下請けではなく、消費者に対する直販のみだったのが大きな勝因です。卸の割合は決して多く、地道にファンを増やして行けたため、現在の事業に繋がっています。

承継の障壁、若手の挑戦…

――事業承継の話題に移りますが、お父様から梅原様への承継には苦労されたのでしょうか。

梅原:当社の事業承継は、比較的円滑に進みました。もともと父には経営者としてのカリスマ性があり、その突出した個性で営業していました。そのため、私が「そのまま」引き継ぐのは難しいことは最初からわかっていました。

はじめから事業承継の高いハードルを意識して準備できたことが、成功に繋がったのではないでしょうか。

――早い段階からの準備とはいえ、承継先を先に決める必要があるかと思います。梅原様が家業を承継することは、どの段階で決まっていましたか?

梅原:私の父は長男であり、私もまた長男でしたから、小学校に入る頃には、家業を継ぐという自覚を持って準備を進めました。

――具体的な戦略はありましたか?

梅原:承継後は、父とは違う手法で営業すべきだと考えた私は、制作技術・ノウハウをしっかりと生かしながらも、マーケティング的な目線では「グローブ」ではなく、財布やバッグの市場への転換を狙っていました。

――代々受け継がれた会社だと、承継時の方針転換には、社内からの批判が強かったのではないでしょうか。

梅原:現在は野球人気も復調しましたが、当時はサッカーの流行により野球マーケットは縮小していました。実は社内にも、「グローブだけでなく新しい柱を作るべきではないか」という空気がありました。

私がファッション好きだったことも功を奏し、反発は社内でもそれほどありませんでした。財布の試作品を大量に発注し、在庫が残ってしまったときは経営者として厳しい指摘も受けましたが、概ね好印象で進んでいました。

――よくある「先代社長の側近が事業承継の支障となった」といった経験はなかったのですね。

梅原:入社時に既に、古株社員が退社していたのは幸運でした。「番頭」はおらず、経営介入してくる社員もいませんでした。

むしろ逆に、若手層の反対意見が、事業承継時に気になることがありました。社長の息子が入社することによって「自分が出世できない」と感じる若手の幹部候補生が退職したり、独立起業したりといった出来事が起こりました。

ベンチャースピリットは、残念ながらデメリットとなることがあります。私は、安易な拡大、奇をてらった独自性に走らず、受け継いだ伝統技術とのバランスが重要だと考えています。

新展開、マッチングで切り開く経営者の未来

――承継時の梅原様の思いが、現在のプレジデント・ギアの新規事業に繋がっているように感じますね。

梅原:株式会社プレジデント・ギアは、父の会社と資本関係がなく、自己資金での運用のため、ベンチャースピリット旺盛に経営を進めています。私と同じ、二世、三世の経営者が、親の業績に甘えることなく挑戦するのを応援したいです。

ファッション好きが功を奏し、100%満足のいく服を作るには…と考えるうちに、会社にミシンと革があることを思い出しました。これを使えば、理想のオーダーメイド商品が生み出せるのではないか。そして、社長の力になる、経営者のためのオーダーメイド革製品の事業がスタートしました。

私は父を経営者として尊敬しており、その苦労を知っています。経営には夢もありますが、苦労や裏切りも多いです。社長のニーズを満たし、ロマンを与える手助けをしたいというのが、プレジデント・ギアの理念です。

――新規事業にも、承継した伝統は生きていますか?

梅原:もちろん、父から受け継いだ古き良き伝統は生きています。顧客層は40代、50代の経営者であり、野球経験者が多い世代なので、グローブの歴史に親和性を感じてもらえています。泥臭く、工場でミシンを踏む修行から始めた経験は、革製品の豊富な知識に繋がっています。

私が立ち上げたブランドですが、過去の歴史が、商品の独自性に繋がっています。

私と同じ環境にある二代目経営者の友人が多く、みな社内のコミュニケーションに悩みを抱えています。円滑に進める言ってとして、福利厚生のために当社のバッグや財布をプレゼントに使っていただいたいです。事業承継の後継者、自身の会社の経営者の双方を経験した私だからこそできることがあると考え、経営者のマッチングにも注力しています。

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